| フジモリの脳内ラビリンス
〜a labyrinth in fujimori's brain〜 Onehundred-Fifteenth bookshelf 森博嗣『すべてがFになる』(ネタバレ書評) |
「天才だ。まさに、天才」犀川は何度も頷く。「僕らにかなうわけがない……。最初から、勝負になっていない……」 御影 「さて、「すべてがFになる」のネタバレ書評なわけやけど」 フジモリ 「ネタバレとは何かという疑問もあるだろうけど、とにかくネタバレ書評だ」 御影 「んーで、ネタバレありで、何について話をするん?」 フジモリ 「えーっと、真賀田四季について」 御影 「わざわざネタバレ書評で語らんでもええんちゃうん?」 フジモリ 「うむ。よく意識から抜けてる人が多いんだけど、「真賀田四季を語る」ことは「ネタバレ」に抵触する可能性が高いんだ」 御影 「何で?」 フジモリ 「ほら、意識から抜けてる。真賀田四季がその後の作品に出ることに言及すると、「すべてがFになる」で「真賀田四季が死んでいない」ことを暗に示してしまうんだ。つまり、死体は真賀田四季ではないことがわかってしまう。「すべてがFになる」未読者にとってはネタバレだよね」 御影 「あ、なるほど。そやなぁ」 フジモリ 「S&Mシリーズの最終話「有限と微小のパン」で「真賀田四季が登場する」ことを言ってしまうと、「有限と微小のパン」「すべてがFになる」両方にとってネタバレになる、というわけだ」 御影 「そやなぁ。ちゅうわけで、ネタバレ書評で真賀田四季について語るんやね」 フジモリ 「そういうこと。で、この「すべてがFになる」という小説、真賀田四季を軸に動いているといっても過言ではない。冒頭の西之園萌絵との対談では、萌絵の心の奥まで見透かす会話を行ない、中盤では死体(実際には本人ではないけど)となって読者に鮮烈なビジュアル・イメージを与える。そして犀川が謎を解明した時点では既に脱出を成功させていたという「フェール・セーフ」で「探偵役」よりも一枚も二枚も役者が違う、という印象を読者に与えるわけだ」 御影 「確かになぁ。科学者としても、被害者としても、殺人者としても常に読者に強烈な印象を与えているわけやね」 フジモリ 「作者自身語っているけど、冒頭の西之園萌絵と真賀田四季との対面はトマス・ハリス「羊たちの沈黙」でのクラリスとレクター博士との対面をモチーフにしている。一人の天才が、同じく若き天才の心の奥底を探ろうとするわけだ。このやりとりは手に汗握るよね。「羊たちの沈黙」と同じく、萌絵は自身の意識や過去の記憶と引き換えに真賀田四季から情報を得たわけだ」 御影 「何かを得るためには、同等の代価が必要になる。それが、錬金術における等価交換の法則。あの頃僕たちは、それが世界の真実だと信じていた・・・」 フジモリ 「それ「鋼の錬金術師」!等価交換はあってるけど書評と関係ないよ!」 御影 「話脱線しとぉで」 フジモリ 「御影から脱線させたんだろうが!・・・まあいいや、話を戻そう。冒頭の対談といい、最後の「フェール・セーフ」といい、犀川と萌絵という二人の「天才」が登場しているからこそ、真賀田四季の天才さが際立つんだろうね」 御影 「ミステリィには珍しく、萌絵はワトソン役ではなくホームズ役やもんなぁ」 フジモリ 「萌絵というのは頭の回転が速く、計算力に優れている天才だ。コンピュータでいうと、CPUの処理速度が人より遥かに速いということ。例え話で言うと、萌絵はチェス盤にクイーンを同士討ちが起こらないように配置する方法を考える際に、「まず縦一列に並べる→失敗」「次に一番上のクイーンを右に一つずらす→失敗」という方法で片っ端から可能性を考え、一つ一つ潰していく手法をとる、といえばイメージが湧くかな?」 御影 「頭の回転が速いから、何百とおりも何千とおりもある膨大な量の組合せを高速で解いていくわけやね」 フジモリ 「そうだね。で、一方の犀川は処理速度は萌絵より遅い。しかし、同じ問題を解くにしても、「どうやったら解答が導き出せるか」を考える能力、つまり思考の跳躍力に優れている。さっきのチェスの問題の場合、「全てのクイーンは横位置をずらし、縦に一つずつ配置する。あとは斜めにかぶらないようにして・・・」と、何百とおり、何千とおりもある組み合わせから数十とおりに絞ってしまう。こういう思考の「跳躍」ができるのが、犀川が天才たる所以なんだ。実際、事件を「すべてがFになる」というキーワードを糸口に、「OSに仕組まれたトロイの木馬」→「監視カメラのトリック」→「犯人は真賀田四季の部屋から出ている」と芋蔓式に真実を探り当てた。萌絵の手当たり次第に計算式をぶち込むパターンだと「計算の前提条件」が決まっている為、「常識を疑う」ことで辿り着ける真実には決して到達できない。「前提条件にしたがって処理する」萌絵と「前提条件を疑うことで新たなアプローチを発見する」犀川との立ち位置の違いは、 「じゃあ、犯人はそこから出てきて、エレベータに乗ることができたわけだ」犀川が指摘した。(中略) 「先生、それはありえません」萌絵は勝ち誇ったように言った。(中略) 「そうか……」犀川は煙を吐いた。「では、そのアプローチは抹消しよう」(p138,139) というやりとりに象徴されるね」 御影 「んーで、真賀田四季はそれ以上の天才や、と」 フジモリ 「真賀田四季はさっきの問題を提示された瞬間に答えがわかる、と言えばどれほど天才かがわかると思う。そして「なぜそれが答えなのか?」を言語化して説明するのに問題を解く何千倍もの労力がかかる。それが真賀田四季という「天才」なんだ」 御影 「ほぇ。そりゃすごいなぁ」 フジモリ 「自身の思考を言語化することに労力がかかる。それは他人が自身を決して理解できないという諦めにつながる。そして、自身の思考を言語を介さず理解できそうな唯一の相手、犀川創平に興味を持ったわけだ」 御影 「んーで、その後も犀川にちょっかい出すわけやね」 フジモリ 「ちょっかいっていうと何か変な響きだなぁ。話を戻すよ。今作において真賀田四季の存在感は圧倒的だ。圧倒的な天才。そして、森博嗣の筆致によってその「天才」が具体的に読者に伝わってくる」 御影 「確かになぁ。漠然と「天才」言われてもよぉわからへんけど、萌絵との会話やトリック、そして犀川との会話を読むと、ほんまに「天才」や、わかるもんなぁ」 フジモリ 「今作しか読んでいない人もいるかもしれないので明言は避けるけど、S&Mシリーズは言わば「真賀田四季」「犀川創平」「西之園萌絵」による物語だといっても過言ではない。3人の最初で最後の共演を是非堪能してほしい。まさにシリーズ第1話に相応しい作品、それが、今回の感想かな?」 御影 「なんや、ネタバレ感想言いながら、真賀田四季の話しかせぇへんかったなぁ」 フジモリ 「まあ、シリーズの中の位置付けとか、S&Mシリーズについては別に語っているからね。だからこそ、今作以外に真賀田四季を語る機会はない、と思って今回書評内で語ったわけだ」 御影 「天才の定義かぁ。実際、処理速度が速い「萌絵タイプ」の天才や、思考の跳躍力が高い「犀川タイプ」の天才、そしてそれらを凌駕する「真賀田四季タイプ」の天才がこの世にも存在するやろぉね」 フジモリ 「思考の跳躍と言う意味では、犀川の「意味なしジョーク」が良い例だと思うよ。人間は二つの事柄を有機的に頭の中で結びつけることが可能だ。例えばこの絵(アルフォンス・ミュシャ「ゾディアック」@グーグルImage)を見て、どんなタイトルをつける?」 御影 「ゴールドセイント!」 フジモリ 「それ十二宮からのイメージだろうが!・・・とまあ、絵から連想し、冠したタイトルから人はその関連性を想像するよね。つまり「意味を見出す」わけだ」 御影 「ほな、タイトル「天国と地獄」とかはどやっ!」 フジモリ 「この絵に描かれている人物は天使なんだろうなぁ。彼女の下周囲を「地獄」の茨が覆っている、なんて解釈はどうかな?・・・こんな風にね。で、犀川は、いかに二つの事象を関連付けできないような、つまり「意味付けできないような」言葉を考える。それが「意味なしジョーク」ってわけだ。これは思考の跳躍力が卓越していないとできないジョークだよね」 御影 「タイトル「真空管ラジオ」とかそんな感じ?」 フジモリ 「ま、まあ確かに意味がないわなぁ。かけ離れてる」 御影 「なるほどぉ。つまり意味なしジョークは、くだらなそうに見えて実際は難しい、ちゅうことやね」 フジモリ 「そういうこと」 御影 「なんや、思考の跳躍力言ぅたらお笑いに通じるところがあるなぁ」 フジモリ 「いや、別に対抗しなくてもいいから。犀川は「意味がない。意味がないから最高なんだ」って言ってるしね」 御影 「「やられはせん!やられはせんぞ!」に通じるところがあるわね」 フジモリ 「わけわかんないよ!」 御影 「てなわけで、意味不明のボケを挟むのが意味なしジョークってことでええんやんなぁ?」 フジモリ 「全然違うって!」 御影 「さすがぁ〜!ツッコミの天才〜!」 フジモリ 「なんだよそりゃ!」 御影 「まあ、ウチもボケの天才やけど」 フジモリ 「天才ってむやみやたらに使うんじゃないって!天才に謝れ!」 御影 「これが本当の「弘法も筆の謝り」ってやつやね」 フジモリ 「いいかげんにしろ!」 |