| フジモリの脳内ラビリンス
〜a labyrinth in fujimori's brain〜 Onehundred-ninth bookshelf 新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー(1)』 |
だからこそぼくは、ある場所のことから語り始めなくちゃいけない。ぼくらが住んでいた、あの街のことから。 フジモリ 「今回は前後編でお送りします。取り上げるのは、新城カズマの「サマー/タイム/トラベラー」です」 御影 「新城カズマ言ぅたら、「浪漫探偵シリーズ(「屍天使学院は水没せり」、「無謬邸は暁に消ゆ」やら、「星の、バベル」やらを書いとぉ、フジモリがイチオシしとる小説家やんな」 フジモリ 「そうだね。今回も前編はネタバレなしで、後編はネタバレありで書評したい。じゃあ、まずあらすじから」 御影 「はいな。 あの奇妙な夏、僕らの街・辺里で、幼なじみの悠有がはじめて時空を跳んだ。たった3秒未来へ。お嬢様学校に幽閉されている饗子の号令一下、コージン、涼、悠有、そしてぼくの高校生五人組は、<時空間跳躍少女開発プロジェクト>を開始した・・・。 ちゅう話や」 フジモリ 「まあ、今回の話は、いわば新城カズマ版「時をかける少女」だ」 ?? 「♪駆け抜けてゆぅ〜くぅ〜」 フジモリ 「??なんだ?何か今、駆け抜けていったぞ?御影か?」 御影 「んーん。ウチ、ここにおるで」 フジモリ 「ま、まあいいや。書評に入ろう。・・・はっきりいって今回の小説「サマー/タイム/トラベラー」、切り口が多すぎてどうやって書評すればよいか迷うぐらいだ。「過去のタイムトラベル作品の棚卸(2005/10/8の京都SFフェスティバルにて新城カズマ氏が発言)」、「少女漫画フォーマットの踏襲」、「社会的虚構(ソサイエティ・フィクション)」、そして出版社であるハヤカワ書房が提唱する「リアル・フィクション」など、様々な側面からこの作品を語ることが出来る。しかし今回は直球ど真ん中、「青春小説」の切り口から語ってみたいと思う」 御影 「青春小説ぅ?フジモリの口からその言葉が出るとなんや鬱々泥々したイメージになんねんけど」 フジモリ 「ならないよ!」 御影 「フジモリに貶められた「青春」ちゅう言葉に謝れ!」 フジモリ 「わけわかんないよ。確かにフジモリの青春時代はアウトドアとかアクティブとかとは正反対な位置にいたけど、それもまた青春の一つの形だし、この作品ではむしろ「そっち寄り」の青春が描かれているだろ?」 御影 「そうなん?」 フジモリ 「そうなの!」 御影 「・・・つまり、フジモリは今まさに青春真っ只中におる!っちゅうわけやね」 フジモリ 「なんでだよ!ますますわけわかんないよ!」 御影 「せやかて、アウトドアと無縁でアクティブから程遠い言ぅたやん?まさに今の状態がそれ!♪青春時代のぉ〜まぁん〜なぁかでぇ〜」 フジモリ 「いいかげんにしなさい!話進めるよ。・・・この作品、主人公タクトの独白というかたちで進められている」 御影 「舞台は長野県南部にある架空の都市、辺里市や。県立美原高校に通う主人公タクトを含む合計5人が、メンバーの一人悠有に起こった奇妙な出来事の謎を解こぉと「行動計画(プロジェクト)」を始めたことから物語は動き出すんやね」 フジモリ 「マラソン大会の最中、悠有は「時間を飛び越したかのように」ゴールテープを越えてしまう。まさしく、荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」第5部のラスボスの能力「キング・クリムゾン」そのものだね」 御影 「「キング・クリムゾン!我以外の時間は全て吹き飛ぶッー!」やね」 フジモリ 「その通り。ジョジョを読んだときはこの能力を理解するのに苦労して、「時間停止能力」との違いが分からなかった。しかしこの作品「サマー/タイム/トラベラー」を読むと、この「時間跳躍能力」がどういうものかというのが理解できた(作中では「時空間跳躍能力」と呼んでいるけど)。つまり、それだけこの能力について丁寧に描写されているわけだ。実際、この「時空間跳躍能力」そのものが「サマー/タイム/トラベラー」の重要な鍵となっているからね」 御影 「わかったよ兄貴!「言葉」でなく「心」で理解できた!」 フジモリ 「ジョジョネタはもういいっての!」 御影 「ちぇ。んーで、なんでこの「時空間跳躍能力」が物語の鍵を握るん?」 フジモリ 「それは後編でのお楽しみだ。で、悠有の「時空間跳躍能力」を解明しようと5人がする行動が変わっていて、過去のSF作品(タイムトラベル=TT)から時空跳躍に関する情報を整理するという手法と、実際に悠有に様々な条件下で時間を飛び越えさせ、その境界条件を分析すると言う手法を同時並行している。過去のSF作品への言及は「さすが新城カズマ!」と喝采を送りたくなるほど詰めに詰め込まれている。タクトたちの溜まり場である喫茶店の名前についているハインラインの「夏への扉」や、グリムウッド「リプレイ」、北村薫「スキップ」、「ターン」、現代ものでは高畑京一郎の「タイム・リープ」、変わったところではドラマ「世にも奇妙な物語」の「携帯忠臣蔵」、さらにこの作品のモチーフとなった筒井康隆の「時をかける少女」など、まさに「タイムトラベル作品の棚卸」をしている。フジモリは未読の作品がほとんどなんで、これらの作品群の分析やSF作品としての言及はアイヨシに譲るけど、この「サマー/タイム/トラベラー」からTT作品に興味をもったことは事実だ」 御影 「そやなぁ。しかし、分析するんに、文献が過去のSF作品っちゅうのも変わっとぉし、「時間を飛び越える」っちゅう超能力を持つ友人がおりながら、それを分析することだけに全力を注ぐっちゅう、前向きなんか後ろ向きなんかわからん行動やわ」 フジモリ 「この5人のメンバも、HP上で「アエリズム」という哲学を作っているお嬢様・饗子、メモ魔のお坊ちゃま・涼、過去に重い背景を持ってそうなタクトのライバル・コージンなど、一風変わった高校生たちだ。おしなべて頭が良く会話も衒学的で「こんな奴ら実際にいるのか?」と思わなくもないけど、実際フジモリが高校生だったときも似たような人たちはいたし、ある意味リアリティがあるね」 御影 「悠有のスタンド能力を分析する際に、他の生き物と一緒に「跳べる」か?人間なら?、とか、境界条件の分析なんかもおもろいわなぁ」 フジモリ 「スタンド能力って言うのはやめい。まあ、そういった感じで夏休みの間の楽しいひと時が続く。この5人の「プロジェクト」、高校や大学の「サークル活動/クラブ活動」を思わせるよね。仲間と目的もなくわいわいと騒いでた時間。自身と照らし合わせてノスタルジィを思い起こさせる。「イリヤの空、UFOの夏」の新聞部やゆうきまさみ「究極超人あ〜る」の光画部、木尾士目「げんしけん」の現視研の雰囲気というとイメージが湧くかな。これらの「サークルもの」では必ず「超人」が出てくるけど(「イリヤ」では水前寺、「あ〜る」では鳥坂、「げんしけん」では高坂)、「サマー/タイム/トラベラー」でも5人の中心的存在である饗子がその役割を担っている」 御影 「ほんまやなぁ。そんな「サークルもの」の雰囲気含めて、まさに「青春小説」ちゅう感じや」 フジモリ 「ただ、フジモリがこの「青春小説」で最もリアリティを感じるのか、「閉塞感」だ」 御影 「閉塞感?」 フジモリ 「そう。この作品、様々な「閉塞感」が描かれている。「檻」と言ってもいいね。まずは舞台である「辺里市」。四方を山に囲まれ、都会の象徴である東京まで特急電車で3時間ぐらい。この「四方を山に囲まれている」というのがポイントで、フジモリの実家(山梨県)もそうなんだけど、「何処にも逃げられない」という気になるんだよね。まさに閉塞した小さな世界。そして、学生という立場の「檻」。これは「家族」という「檻」とセットだ。タクトは母子家庭で母親は短期的な記憶能力に若干の不具合を生じているし、悠有も母子家庭で兄は架空の記憶を生成してしまう「S=Z症候群」という奇病で入院し続けている。饗子は<お山>の女学院と呼ばれている「私立聖凛女子学院」という全寮制お嬢様学校に閉じ込められているし、涼は地元の名士のお坊ちゃまだ。自由を求め、しかし自由に動くことの出来ない立場。そして、「プロジェクト」を行なっている5人のメンバというのも「檻」だね。「サークル」というのは居心地のよい場所であるのと同時に、外部に飛び出せない枷にもなる。実際タクトも東京の大学に進みたい(=辺里市を脱出して都会に出たい)という思いをくすぶらせながらも、家族のしがらみ、5人のメンバ(正確には悠有)の柵(しがらみ)があり、外の世界に飛び出せずにいる」 御影 「そやなぁ。フジモリも「とにかく外に出たい!」ちゅう想いから神戸に行ってんもんなぁ」 フジモリ 「そういう意味で、タクトたちの「閉塞感」には非常に共感できたし、「閉塞感」を象徴する様々な事象を巧みに配置する作者のストーリィテリングは見事だ。この「閉塞感」というのも、物語の重要なキーワードだからね」 御影 「どう重要になるん?」 フジモリ 「それは後編でのお楽しみ。で、物語は更に進み、悠有も自身の意識で時間を「跳べる」ようになる。そしてタクトたちはまず「閉塞感」の代表である「日常」を飛び出そうと奇想天外な計画をたてるわけだ。並行して辺里市を騒がせている放火事件なども物語に絡んでいき、平凡な日常が次第に変化していく。タクトたちは悠有の「時空間跳躍能力」で何をしようとしたのか?そして、物語はどのような結末を迎えるのか?後編をお楽しみに!って感じだね」 御影 「後編に後編にって、ひっぱりすぎや!」 フジモリ 「まあまあ。あえてもったいぶっているのは、この作品がタクトの独白という形式を用い、過去への追懐と当時存在したであろう「別な未来への可能性」を要所要所で入れているんで、今回の書評は若干真似してみたんだ」 御影 「なんやねんそれ。んーで、前編の感想はどやったん?」 フジモリ 「そうだね。「前編」としては「閉塞感」を軸にこの「青春小説」を語ってみたんだけど、後編はこの「閉塞感の打破」を軸に語ってみたいと思う。前編では物語は淡々と進み、タクトたち5人の会話を楽しみ「閉塞感」に共感し、かつて「タクト」であった自分を懐かしんだ。この穏やかな日常がどう変化していくのか、立て続けに後編を読みたくなったね。・・・それが、今回の感想かな?」 御影 「閉塞感と青春かぁ。ほんま、インドアやなぁ」 フジモリ 「まあ、今回の書評ではあえて閉塞感を強調したけど、実際は地方都市とかサークルとかの良さはあるよ。フジモリも大学のサークル(クラブ)の友人といまだに飲みに行ったりしてるしね」 御影 「ウチらのサイト「三軒茶屋」のメンバー、フジモリ、アイヨシ、たけいも小学校時代からの遊び仲間やもんなぁ」 フジモリ 「まあ、檻とか柵は絆であり、財産でもあるということだ」 御影 「フジモリはサークルなんかでこんな知的な遊びはせぇへんかったよなぁ。朝まで麻雀したり、朝までゲームしたり、朝まで五次元について会話したりっちゅうぐらいやもんなぁ」 フジモリ 「まあ、おおむね事実なんで反論はしないが」 御影 「酔っ払って線路を歌いながら歩いたり」 フジモリ 「いや、フジモリの恥ずかしい過去をばらさなくてもいいから」 御影 「幼稚園のバスをジャックしたり」 フジモリ 「それはしてないって!」 御影 「毎回正義のヒーローに破壊されたり」 フジモリ 「だからそれ、悪の軍団だって!」 御影 「まあ、悪の軍団もサークルみたいなもんやからなぁ。この閉塞感を打破して非日常を経験するためにフジモリも悪事をはたらいてたんやなぁ・・・」 フジモリ 「うまいこといってるけどフジモリは悪の軍団と関係ないから!」 |