フジモリの脳内ラビリンス

〜a labyrinth in fujimori's brain〜

Ninty-second bookshelf (ネタバレ感想)
西尾維新『ヒトクイマジカル』


註!
今回の書評には内容に関するネタバレがあります。未読の方はご注意ください。



「−−−喰えねえ野郎は、大嫌いだ」


フジモリ 「戯言シリーズも佳境に入ってきました。今回取り上げるのは、「ヒトクイマジカル」です」

御影 「西尾維新版「そして誰もいなくなったPart3」やね」

フジモリ 「フジモリのセリフをとるなぁっ!」

御影 「まあまあ。細かいことは気にせず、あらすじから行くで。

永遠に生き続ける少女、円朽葉をめぐる奇怪極まりない研究のモニターに誘われた「戯言遣い」こと「ぼく」。

骨董アパートの住人・紫木一姫、春日井春日とともに京都北部に位置する診療所跡を訪れる。しかし、そこに待ち受けていたのは凄絶な「運命」そのものだった!

殺し名第一位の「匂宮」、そして、「物語」を読もうとする男、「史上最悪の遊び人」西東天。彼らとの出会いが、「ぼく」の運命の歯車を大きく狂わせていく・・・。

ちゅう話や」

フジモリ 「待て!次号!」

御影 「いや、ちゃうから」

フジモリ 「そんな光速のツッコミをしなくても・・・。それにしても、今回も衝撃の展開だったね」

御影 「ほんま、あっさり有力キャラを殺しとぉね」

フジモリ 「この思い切りのよさは賞賛に値するね。前作「サイコロジカル」と同じく、イカれた登場人物たちの洒脱な会話によって進められていくけど、その個性的なキャラたちが容赦なく殺されていく。同じメフィスト賞作家の舞城王太郎が「それだけで長編一本書けるような」トリックを惜しげもなく使い捨てするのと同じく、西尾維新は「それだけで短編一本書けるような」キャラを惜しげもなく使い捨てているよね」

御影 「ほんま、今後も誰が死ぬんか気ぃ抜けへんね」

フジモリ 「そうだね。で、今作もミステリィ部分、もっと平たく言えばトリックの部分は非常に控えめだ。アイヨシいわく「ロナルド・A・ノックス「探偵小説十戒」の一つ「双子をトリックに利用する場合は、その旨をあらかじめ書いておかなければアンフェアである」を知ってて無視している(笑)」とのことだけど、もはやこのシリーズ、ミステリィであることをわざと放棄しているかのように思えるなぁ」

御影 「謎解きやって「ぼく」こといーちゃんがするんちゃうくて、最後に看護婦の「形梨らぶみ」にさせとぉしね」

フジモリ 「もちろん、いーちゃんは全て謎が「わかった」うえで、そうしてるんだけどね」

御影 「まあ、キャラ同士のおもろい掛け合いは今回も健在やし、パロディも相変わらずあるし」

フジモリ 「もはや、読者がジョジョ(=荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」)を読んでいることが前提であるかのようなセリフまわしだよね」

御影 「せやけど、ジョジョ言ぅても、1部から4部までやんね。5部も名言満載やし、ちょっとぐらいネタに出してもおかしゅうないねんけどなぁ」

フジモリ 「ああ、それは、この戯言シリーズそのものが「ジョジョ第5部」を基にしているからだと思うよ」

御影 「え、えぇっ!?」

フジモリ 「もろにネタにしているものは、作中で言及しないものだ。例えば「るろうに剣心」で、もろに新撰組の名前を元ネタにしたキャラ(相楽左之助とか)に対して、「本当の新撰組」である斉藤一が「お前、原田左之助に似てるな」とか言わないでしょ。それと同じ」

御影 「せやけど、どこがジョジョ第5部なん?」

フジモリ 「戯言シリーズも、そして作者自ら「新本格ジョジョ」と謳う「新本格魔法少女りすか」も、主人公が「死ぬぎりぎりまで自らの肉体を傷つけることで活路を拓く」というところは、ジョジョ第5部に通じるところがあるね。「自らの肉体を傷つける『覚悟』」もそうだ」

御影 「確かになぁ。弾かれた銃弾を体に受けながら銃を発射しつづけるミスタの「覚悟」、トーキング・ヘッドごと舌を切り取ったナランチャの「覚悟」。戯言シリーズやったら、いーちゃんが自分の指の骨折ったり出夢にあばら折らせたり、「覚悟」なくしてはできへん解決法やね」

フジモリ 「だろ?まあ、フジモリの推測にしか過ぎないけど、戯言シリーズそのものが「ジョジョ第5部」を元ネタにしていると思うと、あえてジョジョ第5部を小ネタに出さないのも頷けるよ」

御影 「そういや、史上最悪の遊び人も出てきたしな」

フジモリ 「『吐き気をもよおす『邪悪』とはッ!何も知らぬ無知なる者を利用することだ・・・!自分の利益のためだけに利用する事だ・・・』ってやつだね」

御影 「この西東天が作者言ぅところの「ラスボス」やしなぁ。・・・二重人格で自分で自分に電話かけたりするんかなぁ?」

フジモリ 「そ、それはいくらなんでもないだろう。・・・まあ、このラスボス「西東天」もその目的がすごいよね。「物語」の終着を「読む」こと。そして、「運命は変えられない」とのたまう」

御影 「正確には、「変えようとあがいても、いずれ別のところで同じような結末を迎える」ちゅうことやねんけどね」

フジモリ 「この辺は、それこそ西東天が引用した「ゴーストスイーパー美神」にも出てきたし、SF小説でよく目にする「アカシックレコード」など、枚挙に暇がない。西尾維新流に言えば、「ルートは異なってもエンディングが同じ」というアドベンチャーゲーム(テキストノベル)のようなもんだ」

御影 「乾いた血の夜?」

フジモリ 「ああ、「かまいたちの夜」ね」

御影 「せやけど、どんな選択肢を選んでも、結局同じ結末になるんやろ?ゲームやったらめっちゃクソゲーやで」

フジモリ 「ゲームだったらね。でも、「物語」だったら、それは当たり前のことだ。いくらキャラクタが生き生きと動いても、同盟軍は帝国軍を倒せないし、吉良吉影は平穏な生活を送れない。(まあ、作者が言うには「もう少しで吉良が倒せないところだった」、とのことだけど)途中経過は変わるにしても、エンディングは同じだ。「戯言シリーズ」内でも、「クビツリハイスクール」で生き長らえた一姫は結局死んだし、みいこさんは掛け軸を入手する。そんな「行き先」、「終着駅」。西東天はその結末が定められた「物語を読む」という、メタな位置に立つことを目的としているわけだ」

御影 「メタミステリィやね!例えば・・・」

フジモリ 「だぁっ!他の作品名を列挙しない!・・・しかし、西東天が立つメタな位置というのは、それらのメタミステリィとはちょっと違う気がするね」

御影 「どんな?」

フジモリ 「最後がどうなるのかはわからないけど、西東天の立つ「メタ」な位置というのは、「戯言シリーズ」という物語ではなく、あくまで作品内の世界での「メタ」な位置なんだと思う。よくある、「自分たちは○○という小説の登場人物だったんだ!」と自覚するのとは違うんじゃないかな。あくまで、「戯言シリーズ」という「小説」があり、そのなかの「世界」があり、その世界の「物語」があり、その「物語」を読もうとしているのではないか、と思うわけだ」

御影 「うう。頭こんがらがってきたぁ」

フジモリ 「作中にマンガの小ネタをはさむのも、それこそマンガのなかで「まるでマンガみたい」という自らの「世界」を疑うことでウケをとるという方式ではなく、あくまで作中の「世界」のなかで、それこそ日常でフジモリたちが会話のネタで使うようにマンガやゲームのネタを使っている。戯言シリーズ内の「世界」はあくまでフジモリたちの「世界」と並列なんだ。だからこそ、西東天の目的の壮大さ、そして、最強でもなく最驚でもなく最凶でもなく最狂でもなく「最悪」を名乗っているその「恐ろしさ」も感じられる」

御影 「なるほどなぁ」

フジモリ 「「物語」の結末を見ようとする「史上最悪の遊び人」、「物語」を無理矢理解決させる「史上最強の請負人」、そして、「選択肢を選ばない」ことで物語を最悪の結末にしていた「無為式」の戯言遣い。しかし、今作で戯言遣いこといーちゃんはあえて「運命」(哀川潤と匂宮出夢との激突)に逆らい、「結末」を変えようとする「覚悟」を見せた。「結末」は変えられるのか?「運命」には抗えるのか?物語の「テーマ」も見え、まさに佳境に入った戯言シリーズ。ほんと、次巻が楽しみだね。それが、今回の感想かな?」




御影 「メタな視点かぁ。うちらの書評もそうやんね」

フジモリ 「まあ、フジモリたちの書評は最初から「フジモリの脳内会話」と謳ってるからね」

御影 「・・・せやけど、ウチらのいる世界も、「物語」の中にあるかもしれんなぁ」

フジモリ 「お、非現実感。思春期の少年少女みたいだね。マトリックス?邯鄲の夢?上遠野浩平『ぼくらは虚空に夜を視る』?」

御影 「うん。ウチらの住んでるこの世界。クトゥルーの見ている夢の中かもなぁ」

フジモリ 「よりにもよってラヴクラフトかよ!」



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