| フジモリの脳内ラビリンス
〜a labyrinth in fujimori's brain〜 Thirty-fifth bookshelf 森博嗣『今はもうない』 |
フジモリ 「さて、今回は森博嗣の「犀川助教授と西之園萌絵シリーズ」、通称「S&Mシリーズ」の第8部、「今はもうない」の文庫版の感想をお送りします」 御影 「第8部?8作目でええやん?」 フジモリ 「S&Mシリーズの総評でも言ったけど、このS&Mシリーズは10冊で1作という形態をとっている。取り扱う事件は違うけれど、一つの物語となっているんだ。したがって、8作目ではなく第8部」 御影 「勝った!第3部完!」 フジモリ 「ほおう。じゃあ、誰が次の主人公をやるっていうんだ?まさかお前じゃあないだろうな・・・って、それはジョジョの第3部だろうが!」 御影 「うわぁ。基本的なノリツッコミぃ」 フジモリ 「・・・・・・粗筋いきます。御影、どうぞ」 御影 「な、なんでウチなん?ええっと、避暑地にある別荘で、美人姉妹が隣り合わせの部屋で一人づつ死体となって発見された。二つの部屋は、映写室と鑑賞室で、いずれも密室状態。遺体が発見されたときスクリーンには、まだ映画が・・・。おりしも嵐が襲い、電話さえ通じなくなる。別荘に居合わせた「私」は、偶然知り合った西之園家の令嬢と事件を調査し始める・・・」 フジモリ 「うむ。裏表紙通りの粗筋サンキュウ。まあ、苦しいのはよくわかる」 御影 「ぷはぁ。苦しかったぁ。・・・この話はS&Mシリーズん中でも異色な作品やな。とにかく、読後に「騙されたぁ!」と思わされる本や。なにを説明しようとしても、ネタバレ警報に抵触する恐れがある(笑)」 フジモリ 「では、ぎりぎりのところで感想を。今回もS&Mの話だけど、Mの方、西之園嬢の活躍が目立つね。犀川助教授の活躍の場面は少ない。犀川ファンには少し物足りないけど、相変わらず犀川節は全開だから、物足りなくは思わないと思う」 御影 「S&M?・・・ああ、なるほど。確かになぁ。それにM、西之園嬢も活躍しとぉわ」 フジモリ 「含みのあるリアクションをするんじゃないっ!」 御影 「へいへい〜」 フジモリ 「今回のテーマは「伝達」だ。S&Mシリーズは第6部の「幻惑の死と使途」から、テーマ性を持った作品になっている。「今はもうない」では、「伝達」について犀川の意見が語られる」 御影 「伝達は、自身が伝えやすいように加工された形で伝えられる、ゆぅ考え方やな」 フジモリ 「これは、まさしくその通りだと思う。フジモリは卒論で伝承についていろいろ調べたんだけど、童話など口伝で伝えていく物語は、作品の「パターン」と「メッセージ」が洗練されていく。情報の加工だね。現在の情報伝達は次第にテキスト主流になっていくだろうけど、コピー&ペーストや転送による無加工な状態よりも、自身が噛みくだいて伝達する形式で落ち着いてほしいね」 御影 「「ほしい」言ぅんはどういう意味?」 フジモリ 「フジモリは、おそらく、コピーという形式が今後の情報伝達で主流になると考えているからだ。その方が楽だし、確実だからね。情報を自身で消化して伝達するというのは主観が入り正確に伝わらない危険性を孕んでいるし、なにより面倒だ。本来の伝え手が「そんな意味で言ったんじゃない!」となる事態を回避するために、最も楽で確実なのがメールで言えば「転送」、ホームページなどのテキストで言えば「コピー&ペースト」(あるいは直リンク)なんだよね」 御影 「なんか悲観的やな」 フジモリ 「これだけ文字に残す文化が発達してしまうと、伝達の過程で起こる情報の進化や洗練が鈍ってしまうんじゃないか、と杞憂しているわけだ」 御影 「ふうん。フジモリって、アナログ的な考え方してんねんな」 フジモリ 「まあ、文学自体がもともとアナログなものだし、もと文学部の身分としては古い時代好きな部分が自分の中にあるからね。この本を読みながら、そんなことを考えたりしたよ」 御影 「ふうん」 フジモリ 「それにしても、この本ほど「何をしゃべってもネタバレに抵触」してしまいそうな小説は珍しいね。これだけネタバレネタバレ言ってしまって、これから読む人に疑心を植え付けることもネタバレに抵触しそうで怖いよ」 御影 「映画の「シックス・センス」みたいやな」 フジモリ 「ああ、冒頭の、ブルース・ウィルスの警告だろ?「決して結末は人に話さないで下さい」っていう。そんなのがあったら、誰だって警戒するよ(笑)」 御影 「・・・そもそも、ネタバレの境界線って何なん?」 フジモリ 「森博嗣は、「表紙と裏表紙のあらすじ以外の内容を他人に伝えることはネタバレ」と言ってるけど、これは厳しい線引きだね」 御影 「でも、そこまで厳密にせぇへんと、読む人の楽しさを奪うのんちゃうん?」 フジモリ 「でも、逆に内容をうまく伝えることによって興味を抱いてもらうことだってある。ここの感想は未読の人を主な対象にして、フジモリが読んだ本に少しでも興味を抱いてもらおうというコンセプトのもとにやっている」 御影 「うそぉ!?」 フジモリ 「そうだったんだよ。まあ、既読の人にも「そうそう」と頷いてもらえる造りにしてるけどね。フジモリが扱うのは主にミステリィだから、トリックについてのネタバレさえしなければ、まあだいたいの行き過ぎは許される」 御影 「行き過ぎゆぅか、脱線やろ?」 フジモリ 「そうとも言うね。しかし、例えば同じ森博嗣のVシリーズ。この中で、「保呂草と紅子の関係がどうなったか」という話をするのは、明らかにネタバレだと思う。「今回は二人の間に進展がなかったんで物足りないなぁ」とか「キスしちゃったよ、おいおい」とか感想を書いてしまうと、それぞれの作品の面白さを損ねてしまいかねない(どれがどの作品の感想かは内緒)。これはフジモリの線引きなんで強制するつもりはないし、フジモリは買ってすぐに読むんでネタバレでがっかりしたケースがないからどうとも言えないんだけど、同じ事がすべての小説にも言えると思う。フジモリが「良かったなぁ」と感想を書けば、「フジモリ好みの内容なんだな」と察せられてしまうし、「保呂草大活躍で面白かった!」と書けば「そうか、保呂草途中までは殺されずにいるんだな」と勘ぐられてしまう」 御影 「んなんやったら、感想なん書けへんやん!」 フジモリ 「そうなんだよ。感想(書評)ってのは、既読の人がその内容に共感するものと、未読の人がこれから読む本の参考にするものという2種類のパターンがある。両方兼ね備えているのが一番いいんだけど、未読の人に話すその本の「内容」と既読の人に対して話す「内容」では明らかに溝ができてしまうからね。それをどうするかが感想書きの腕の見せ所だし、「紹介」と「ネタバレ」というジレンマを常に抱えていくという難しさがある」 御影 「ほぉ〜。そんな苦労があってんねんなぁ。ただ思ったことを書くだけちゃうのんやなぁ」 フジモリ 「分析や評価っていう「客観的な」主観で感想を書けば確実だけど、フジモリはあえて「主観的な」主観で感想を書いている。ただし、読み手によってその受け取り方は千差万別だ。読み手の能力と、書き手の能力、さらにはどこまで情報、感情を「伝達」できるか、ということまで問われてくると思うよ。人気のある書評サイト、感想サイトっていうのは、それを踏まえられているんじゃないかな?」 御影 「おお、ネタバレから最初の「伝達」に話を戻してうまくまとめよったな」 フジモリ 「まあ、これだけ感想を書いていれば、だんだん書き方が熟れてくるよ」 御影 「・・・なんかおかしいなぁ?この感想、叙述トリックとか、使ってるんちゃうんか?」 フジモリ 「どうやってだよ!」 御影 「せやから、実は「御影」でしゃべっとるんがあんた「フジモリ」で、「フジモリ」でしゃべっとるんがウチ「御影」やとか」 フジモリ 「どこが叙述トリックだ!自分で「ウチ」って言ってるだろうが!」 御影 「(フジモリの声色を真似て)もう、わけわかんないよ!」 フジモリ 「それはこっちのセリフや!」 |