| フジモリの脳内ラビリンス
〜a labyrinth in fujimori's brain〜 Thirty-first bookshelf 加納朋子『掌の中の小鳥』 |
<あらすじ> たぶん僕は変わったのだ。 「僕」、冬城圭介は、とあるパーティで赤いワンピースを着た天使と出会う。 「きっかけっていうのはね、つまらない偶然プラス、ちょっとした作為だってことさ」 過去に別れを告げたばかりの僕は、そう言って彼女、赤いワンピースの天使とともに退屈なパーティを抜け出した。 「桜月夜」に彼女の名前を知り、彼女が「自転車泥棒」にあったエピソードや幼馴染みの「できない相談」を聞きながら、退屈とは無縁な彼女の日常に触れる。 小粋なカクテルの店「エッグ・スタンド」を舞台に、二人と、そして店の常連たちのミステリィな夜は更けていく・・・。 <感想> フジモリが今年出遭った作品たちの中で一番の収穫は加納朋子さんの作品です。 ミステリと銘打たれているものの、その切り口はあくまで柔らかく、暖かい。 もちろんミステリィ部分の構成もしっかりしているのですが、それをあくまでも調味料にしてしまうところがすごいところです。 そして、今回の「掌の中の小鳥」はフジモリにとって過去3作の中で最も気に入った作品になりました。 舞台は、洒落たカクテルバー、「エッグ・スタンド」。春には桜の枝が飾られ、秋にはススキの穂がゆれる、風流な店。その店で、「僕」冬城圭介と赤いワンピースを着た天使(これから本を読む人のために、名前を伏せておきます)との間で、「日常で起こったちょっとした謎」についての会話がされます。マスターの女性や常連の老人などもその話に加わり、最後には「僕」が謎を解き明かします。 この、「日常で起こったちょっとした謎」を軸にした連作短編というのは「ななつのこ」「魔法飛行」から一貫したコンセプトですが、フジモリが今作「掌の中の小鳥」で感心した部分は、最後の「エッグ・スタンド」という短編です。 普段はいわゆる「探偵役」として赤いワンピースの天使の謎を解き明かす「僕」が、最後の謎だけ解けない(正確には、不完全な推理をする)という場面があります。なぜなら、その謎の中に「僕」が含まれていたからです。自身がその謎の中の一員となってしまうと、途端に正しい推理ができなくなる。そこで、「探偵役」と「ワトソン役」の逆転が起こるのです。 最初の短編、「掌の中の小鳥」でも、「僕」が経験した事件の謎を解くまでには、「僕」が「変わった」と自覚できるまでの時間が必要でした。「謎」というのは、自身が主観的に物語に参加しているとわからなくなる、という事例を最初の短編で伏線として見せ、最後で「僕」がおちいった「謎」に関する話に対し、周りの人の助言で解いていくという流れにうまく持っていっています。 では、なぜ、こういう構成になっているのでしょうか? それは、この物語が「恋愛小説」だからです。 断言しましょう。この話は、ミステリィではなく、「恋愛小説」です。 赤いワンピースの天使が問い掛ける「謎」に対し、すらすらと解答を出していく「僕」も、「赤いワンピースの天使」自身の気持ちを解き明かすことはできませんでした。「僕」は思います。 まったく世に人間の心ほど −−女性の心理ほど−− 不可思議な存在はあるのだろうか?(p251) この作品の中で一番の「ミステリィ」は「赤いワンピースの天使」でしょう。彼女の心を「エッグ・スタンド」のメンバーの指摘によって理解し、そして(この順番が重要)自分の彼女に対する心を理解した、「僕」。「謎」が解け、「僕」が彼女の心を理解したところで、物語にスッと、幕が下ろされます。 それまでの4編の短編は最後の「エッグ・スタンド」に対する伏線であり、最後での「主観」と「客観」の逆転現象によって二人の気持ちの近づきを読者は再認識します。その構成の妙は見事であり、また加納朋子さんの柔らかな筆致(「魔法」と評されていますが)により、読者は「騙された」というある種の不快感を感じません。 そして、自身の、「主観」と「客観」について、改めて考える機会を得るのです。 この作品は「ミステリィ」として「日常で起こったちょっとした謎」を提示しながらも、その中に「恋愛」という「日常に起こりうるミステリィ」を含める、二重構造をとっています。 「ミステリィ小説」として読むとその謎があまりにも普通すぎて物足りなさを感じるかもしれませんが、あくまでも日常で起こったちょっとした謎という「ミステリィ」は調味料的要素。「僕」と「赤いワンピースの天使」との関係というこの作品の中の主題と言える「ミステリィ」をじっくり味わって欲しいと思います。 愛し愛されるすべての人に、そして、これから愛し愛される可能性をもっている全ての人に、この物語を読んでもらいたい。 純粋にそう思わせる物語というのが今回の感想です。 タイトルの「掌の中の小鳥」という意味は、あなたが読んで、確かめてください。 読了後、あなたの掌の中に小鳥がいることに、気付くはずですから。 |