フジモリの脳内ラビリンス

〜a labyrinth in fujimori's brain〜

Twenty-third bookshelf
T・G・ゲオルギアーデス『音楽と言語』



フジモリ 
「さて、フジモリもいつもいつもミステリィばかり読んでいるわけではありません。今回はちょっと真面目な本、T・G・ゲオルギアーデスの「音楽と言語」を取り上げます」

御影 
「誰、この人?」

フジモリ 
「この人はドイツの音楽学者。この本は、ミサ曲を題材に音楽と言語との歴史を説明した本だ」

御影 
「ミサ曲?」

フジモリ 
「そうか、御影は本専門だからな。音楽知識はあまりない人格だった。
 ミサとはローマ‐カトリック教会で聖体と聖血の拝領を中心に、神に感謝し共同体的一致を深める儀式のこと。ほかの教会の聖餐式に当るんだ。ミサ曲とはその時に歌われる歌のことだ。噛み砕いて言えば、賛美歌みたいなものだな」

御影 
「弥撒とも言うな」

フジモリ 
「なんでそんなわけわからないことは知ってるんだ。西洋の合唱曲は、ミサ抜きにしては語れない。今回この本を読んで、ミサ曲の歴史と、それに伴う音楽の歴史について知ることができたよ」

御影 
「具体的にはどんなんなん?」

フジモリ 
「うーむ。この本の概要を一から語ることになりそうだが・・・。まず、ミサ曲はKyrie(主よ、憐み給え)・Gloria(栄光)・Credo(我は信ず)・Sanctus(聖なるかな)・AgnusDei(神の小羊)の5部によって構成される。テキストは一緒だから、同一のテキストに対しいかに曲をつけるかがイコール音楽の歴史というわけだ」

御影 
「音楽?合唱ちゃうん?」

フジモリ 
「合唱という音楽形式が登場したのは、実は10世紀位からだ。それまでは、言葉と音楽は同一のものであり、言葉がそのままリズム、音階を司っていた。韻文というやつだ。中国の漢詩なんかはまさにそれだね。韻を踏んだリズムと言葉自身が持っている音階(中国語にはピンインという言葉自身が持っている高低アクセント、音節がある)のため、詩をそのまま詠むだけで音楽のように聞こえる。ギリシャ語ではこういう音楽的に規定された韻文を「ムシケー」と呼んでいた。これが、音楽(ムジーク、ミュージック)という言葉の源泉なんだ」

御影 
「ほぉぉ。つまり、昔は詩がそのまま音楽やった、ちゅうことなん?」

フジモリ 
「そうだね。だから、合唱という概念は当時はなかった。儀式を司るものがミサを唱える、その単音形式から変化が起こったのが10世紀なんだ。たとえば、「Kyrie eleison(主よ、哀れみたまえ)」という言葉を「万物の父なる神、万物の創り主よ、われらをあわれみたまえ」という同一の意味の2次的テキストをつくり、かぶせて歌う。そこで2声による複合のミサが生まれたわけだ」

御影 
「んーで、そこから現在の4声による合唱が生まれたわけやな」

フジモリ 
「ところが、そう簡単にはいかない」

御影 
「??」

フジモリ 
「この2声のハモリというのは、4度によるハモリ(ドとファ、など)なので、それ自身で完結しまっている。それ以上声をかぶせると音階が崩れてしまうんだ。そこで登場したのがゲルマン民族が用いていた音階、5度のハモリなんだ。ドとソというハモリは、間に3度(ドとミ)が入ることで、音階に変化を持たせられる。5度−3度−5度というように、音楽に多様性が持たせられるわけだ」

御影 
「そんで、3声や4声の合唱が生まれたわけなんや」

フジモリ 
「そういうこと。もちろん、こういう音階はテキストに沿ったものだ。音楽により、言葉を実現させてきたわけだ。それに変化が起こったのはJ・S・バッハが登場してから。バッハぐらいだったら御影でも知ってるだろ?」

御影 
「馬鹿にすなぁっ!それぐらい知っとぉわ!」

フジモリ 
「代表曲は?」

御影 
「・・・・・・」

フジモリ 
「ま、いじめるのはこれぐらいにして。
 バッハは、これまで言語主導だった曲(声楽、だね)に、器楽という観点から作曲を加えるようになった。当時、器楽というのは旅芸人や吟遊詩人などがする下俗なものだったんだけど、バッハは声楽に器楽をくっつけた作曲をして、曲の幅を広げた。それに伴い、言語と音楽の立場が逆転し、「言語が音楽に属するようになった」、というわけだ」

御影 
「テキスト本来の持つリズムや音階が意味を持たなくなった、ゆーこと?」

フジモリ 
「そう。ここが音楽のターニングポイントだったと言えるね。もちろん、その後のウィーン古典派(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど)は器楽よりに傾いた流れをもどし、声楽と器楽との融合を目指したわけだが、バッハの音楽、すなわちに歌詞に音階をつけるのではなく、音階に歌詞をつけるという考え方はまさに革命的であったんだ」

御影 
「つまり、音楽と言語の立場が並んだちゅうことやな」

フジモリ 
「そう。音楽の立場の向上、言語の立場の下降、どうとでもとっていいけど、本来言語の下位に属性していた音楽が言語と対等の位置に来たと言うのは、嬉しくもあり悲しくもあるな」

御影 
「ま、これで音楽と言語が互いを高めあうことができるんやから、ええんちゃうん?」

フジモリ 
「そういうことにしておこうか。この本、「音楽と言語」はミサ曲を題材として音楽と言語との密接なつながりについて書いている。かなり難解な内容だし、ある程度音楽に知識を持った人じゃないとつらいけど、逆に音楽をやってる人なら読んで損はないと思うよ」

御影 
「でも、こうしてみると、現代の曲も同じようなことが言えるやな」

フジモリ 
「だね。日本のポップスなんて、西洋の曲に日本語で歌詞をつけるからどうしてもひずみが生ずる。J−POPでよく言われるのが「歌詞が聞き取りづらい」ということだけど、歌詞が音楽に従属してるんだからそれも頷ける気がするね」

御影 
「せやから、演歌は歌詞がわかりやすいんやな。「♪あなた 変わりは ないですか〜」」

フジモリ 
「それもちょっと違う気もするが・・・」



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