| フジモリの脳内ラビリンス
〜a labyrinth in fujimori's brain〜 Eleventh bookshelf 京極夏彦『狂骨の夢』 |
フジモリ 「今回取り上げるのは京極夏彦の『狂骨の夢』だ」 御影 「これが前回の感想でフジモリがゆーとった1kgステーキ?」 フジモリ 「うむ。本来なら第10回目の感想になる予定だったんだけど、あまりにも分厚いので読んでる途中で他の本を読んでしまったんだ。もともとノベルスの形態だったんだけど、その頃から分厚かった。で、今回は文庫化される際に加筆修正したんだけど、なんと400字詰原稿用紙400枚文も加筆したんだそうだ」 御影 「400枚ぃっ!?本一冊分やん!いったい何ページあるん?」 フジモリ 「文庫版は1000ページ。もう、本というより「直方体」だよ。厚いぞ。重いぞ」 御影 「ほんまやなぁ。「帰宅した会社員(24)、居直り強盗に撲殺される!凶器は文庫本!」なんて記事が新聞の3面にのってもおかしないな」 フジモリ 「勝手に人を殺すなぁっ!」 御影 「でも、なんだかんだゆーて10日ぐらいで読みおわっとぉやん」 フジモリ 「面白いからね。分厚いといっても過剰な装飾で引き伸ばしてるわけじゃなく、削りに削って1000ページなんだ。気合さえあれば一日で読み終えられるぞ」 御影 「ちゅうことは、おもろかったわけやな」 フジモリ 「うむ。何回読んでも面白い。というわけで、今回はちょっと形態を変えて『狂骨の夢』を題材にしてこの「京極堂シリーズ」について説明してみたいと思う」 御影 「これってシリーズもんなん?」 フジモリ 「『狂骨の夢』はシリーズ3作目。といっても、続いた話ではなく、同じ登場人物が出ているだけ。もちろんいきなりこの作品から読むとかいうアクロバティックなことはできないけど(できなくもないか)、物語自体は一作づつで完結している。この京極堂シリーズ、分類としてはミステリィとされている。よく森博嗣の「理系ミステリィ」というのに対して「文系ミステリィ」と称される。これは森博嗣の作品が理系の論文に比せられるのと同じく、豊富な文献を引用した京極作品は文系(特に文学部)の論文のようだからだ」 御影 「そうなん?」 フジモリ 「もと文学部のフジモリが言うんだから間違いない。で、京極作品はよく「妖怪小説」「妖怪ミステリィ」といわれるんだ。タイトルもそうだけど、石燕の「百鬼夜行図」から題材を取り、戦後の東京で繰り広げられるこの物語はまさしく妖怪が出るのにうってつけの舞台だ。文体も旧仮名遣いを多用し、レトロさを醸し出している。レトロ!くぅ!レトロ!いいねえ!」 御影 「まぁたフジモリのレトロ好きが始まった」 フジモリ 「下手すれば辞書を片手にこの本を読む、なんてこともあるぐらい難しい言葉が出てくる。こう書くと敷居が高い様に思われるけど、あくまでこの文体は作品を盛り上げるギミックなんだ。「京極堂シリーズ」のすごいところは、こういう古い舞台の中で非常に新しいことを書いてある点だ」 御影 「新しい?」 フジモリ 「哲学的なんだ。言い忘れてたけど、(というよりこれが一番肝心なことなんだけど)この京極堂シリーズ、「妖怪小説」という形態をとっていながら実際には妖怪は登場しないんだ」 御影 「はぁっ?」 フジモリ 「京極堂シリーズの主要人物の一人、京極堂(中禅寺秋彦)は同じく主要人物の一人である文士、関口巽にこう言っている。 「世の中にはね、不思議なことなど何ひとつないのだよ」 京極堂は超常現象としてしか解決できないような奇妙奇天烈な事件を「妖怪」に模しながら、全てを現実的な解釈で解決していくんだ」 御影 「ほな、その京極堂ゆーんが主人公で探偵なん?」 フジモリ 「うーん。それは違う。しかも違うポイントが2点ある」 御影 「2点?」 フジモリ 「まず、京極堂は探偵ではない。単なる本屋の主人だ。まあ、「探偵役」と言えなくもないんだけど、この作品では探偵役というより京極堂自身の言葉を借りれば「憑物落とし」として存在しているんだ」 御影 「憑物落とし?」 フジモリ 「これについては後述する。とりあえず、京極堂は探偵ではない、ということ。探偵なら本物が出てくるぞ。榎木津礼二郎という華族の息子だ。こいつもシリーズ通して出てくるんだが、なんというか、常識離れしたキャラだ。奇想天外とは正に榎木津のことを言うんじゃないかな」 御影 「ほな、主人公は誰なん?」 フジモリ 「そこが間違いの2点目なんだ。このシリーズ、主人公が存在しないんだ」 御影 「どーいうこと?」 フジモリ 「シリーズ全てに登場し、事件に絡む主要人物としては、前述した京極堂、文士関口(こいつのキャラも面白い。かつてこれほどまで鬱で危ういキャラがあっただろうか、というぐらい)、探偵榎木津、刑事木場修太郎(猪突猛進)、京極堂の妹敦子(メンバー中唯一の常識人)などがいる。で、ゲストキャラも何人か出てくるんだけど、物語はこれら登場人物がそれぞれ異なる理由で異なる事件に絡み、それが一本の糸になる様子を描いているんだ」 御影 「全然わっけわからへん」 フジモリ 「では、『狂骨の夢』を例にとって説明する。海岸に金色の髑髏が浮かぶという「金色髑髏事件」、海岸に浮かぶ白骨の生首が1ヶ月後に肉をつけ、やがて完全な生首になって発見された「生首事件」、首なし死体が蘇って家に訪れると告白する女性、髑髏の山の周りで男女が交わっている夢を見るという元精神科医、などなどがそれぞれの視点でパラレルに進行されていく、というのが『狂骨の夢』のあらすじ」 御影 「それだけ聞いても、ほんま超常現象的な事件の気がするな」 フジモリ 「としたら、御影にも「憑いた」んだろうな。京極堂はこれらの事件全てが関わりあるものだとし、こんがらがった紐の結び目をほどいていくんだ。それによってそれぞれの事件で各人が心に持ったトラウマや拘(こだわ)り、蟠(わだかま)りを解決する。それが彼の言う、「憑物落とし」なんだ」 御影 「ほぉぉぉぉ」 フジモリ 「京極堂シリーズの特徴、そして京極堂シリーズが「ミステリィ」と言われる所以は、「何が謎だかわからないところが謎」なんだ」 御影 「問題がわからんゆーこと?」 フジモリ 「そう。森博嗣などもそうだけど、普通のミステリィ、または推理小説などでは「どうやって犯人は密室から脱出したのか」など明確な謎が用意されている。しかし、京極堂シリーズは登場人物が住んでいる世界そのものを「謎」として読者に認識させてしまい、「明確な謎は存在しないのだがなんかおかしいぞ」という世界そのものを京極堂が解体し、解き明かしていくことによって読者がカタルシスを得るという、今までのミステリィを根底から覆したミステリィなんだ」 御影 「難しそうやな」 フジモリ 「そんなことはない。むしろ、主観で書かれているんでパラレル視点によるドラマと考えればすごく作品に没頭できる。何も考えずに読んで、登場人物とともに世界そのものに疑いを持ち、事件の謎に頭をひねらせ、最後に京極堂の憑物落としで「ああ、そういうことか!」と一人ぽんと手を叩いてほしい。謎が解けるっていうのは何ものにも変えがたい快感であるということがわかるし、謎が大きければ大きいほど解けた時の爽快感が増すということもわかると思う」 御影 「これを読んどぉ人たちにうまく伝わるとええなぁ」 フジモリ 「月並みな表現になるけど、とりあえず読んでみて、と言うしかないな。ちなみに京極堂シリーズ1作目は、「姑獲鳥の夏」、ウブメのナツ、だ」 御影 「(うう、今回はまともすぎてボケるところもツッこむところもあらへん)」 フジモリ 「今回は『狂骨の夢』という本の感想ではなく、『狂骨の夢』を含む京極堂シリーズの感想を紹介したんだけど、少しでもこのシリーズの面白さが伝わり興味を持ってくれたら嬉しいな」 御影 「・・・(オチを考えている)」 フジモリ 「とにかく、厚い背表紙と古めかしい表現に臆せず、まずは手にとってほしい」 御影 「・・・(オチを考えている)」 フジモリ 「そして、レトロな作品世界にどっぷりとつかってほしい。今回は以上かな」 御影 「・・・(オチを考えている)」 フジモリ 「今回はえらく静かだね。珍しい。どーした?」 御影 「・・・(何も思いつかなかったらしい)」 フジモリ 「?」 御影 「・・・ごめんなさい」 フジモリ 「なんだそりゃあっ!!」 |