フジモリの脳内ラビリンス

〜a labyrinth in fujimori's brain〜

Sixth bookshelf
高村光太郎『高村光太郎詩集』



フジモリ 
「今回は珍しく詩集をとりあげてみることにする。高村光太郎の詩集だ」

御影 
「し、詩集…。なんちゅーか、前回と180度異なった本やな。どしたん?いつも詩集なんか読んどったっけ?」

フジモリ 
「うむ。実はフジモリも詩集を読むのは今回が初めてだ。昔から、読みたいとは思ってたんだけどね」

御影 
「なんで?」

フジモリ 
「詩集は、散文と違って作者が様々な言葉の中から選びに選んだ言葉を用いている。言うなれば、贅肉のない言葉による文章だ。こういう削りに削られた、シャープな言葉にたまには触れたいと思ってね」

御影 
「な、なんか妙に文学少年やな。いや、もう少年ちゃうか。文学妙年か」

フジモリ 
「なんだよ、妙年って。まだまだ気持ちは少年…は厳しいけど、青年ぐらいだぞ」

御影 
「まあ、秋やな、ゆーことやね」

フジモリ 
「どういうまとめ方だ。まあ確かに、読書の秋に相応しい本だけどね」

御影 
「で、どーやった?」

フジモリ 
「そうだね。高村光太郎といえば、『道程』『智恵子抄』が有名な、昭和初期の詩人だ。詩の内容は、激しい感情を書いているものもあれば、世の中を斜に構えて見ているものもある。この人は言葉の選び方が独特で、読んでいて非常に重くのしかかる。普通の小説を読むよりヘビィだったね。たとえば、「車中のロダン」の一節より。

やがてロダンは静かに言つた、
「カリエエルさん、あそこにゐる娘さんのうなじはまるでマリアのやうですね。」

いいね。いや、趣味丸出しだけど、やっぱりレトロなんだよ。レトロでいいんだよ。レトロってのは、現在の大衆の手垢にまみれてないぶん、純粋で、心が洗われる。こういう言葉って、普通に生活してたら絶対に触れることはないからね。そういう部分でも、心に訴えかけるものがあった」

御影 
「「詩集」ちゅー部分では?」

フジモリ 
「やはり、普段凡庸に生活してると感性が鈍ってしまう。選び抜かれた言葉、研ぎ澄まされた言葉に触れることによって、自分の感性もシャープになる。いわば感性の砥石だね。もちろん、相田みつをのように「癒し」の効果を持つ詩もあるけど、高村光太郎の詩は「練磨」の効果を持っている、というのが今回の感想だね」

御影 
「磨いて…どーするん?」

フジモリ 
「別にどうするわけでもないけど(笑)。ただ、こういう書評を書いたりだとかの「アウトプット」の作業のときには、こういう経験が活きてくるんじゃないかな。この詩集は暇なときにでもパラパラと読んで、いい言葉に常に触れていきたいね」

御影 
「ふーん。今回はなかなか真面目な感想やな。もと文学部だけのことはある。詩集効果やな」

フジモリ 
「まあね。ポエミィだろ?」

御影 
「前言撤回!それを言うならポエティックや!」



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