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〜a labyrinth in fujimori's brain〜 Third bookshelf 『聊斎志異』における変身譚についての考察 〜フジモリ卒業論文〜 |
(三) 『聊斎志異』における変身譚−報恩譚 それでは、『聊斎志異』において「変身」はどのような位置を占めているのであろうか。 そこでまず『聊斎志異』において、変身譚をさらに詳しく分類してみることにする。 まず、前世、あるいは現世で主人公に受けた「恩」を返し恩に報いるため、人間に変身し恩返しをする話がある。巻五「花姑子」、巻六「八大王」に代表されるこの話を、変身譚の中の「報恩譚」とし、位置づける。 次に主人公や人々があるものに愛情を傾け、その愛情を受けた相手が主人公の深い「情」に報いて人間に変身する話を「報情譚」とする。この報情譚は巻六「鴿異」や巻十「葛巾」など、『聊斎志異』の中でも有名な話が多い。 最後に上記二つに類しない話、道士による変身の話、始めから正体のわかっている異類と物語を展開する話があるが、変身譚を「変身のプロセス自体が物語の軸になっている話」と定義するとこれらの話は該当しないので、単なる異類譚、妖怪譚などとし、本論では詳しく言及しないでおく。 『聊斎志異』の変身譚の中でまさに「変身」がキーワードになっている報恩譚と報情譚であるが、この章ではまず報恩譚について検討してみたい。報恩譚の中において登場人物たちは「なぜ」「どうやって」変身するのか。また「変身」はどのような機能を担っているのか、またグリム童話に同様な話はあるのか、一つ一つ検証していきたいと思う。 まず報恩譚の代表的な話である、「花姑子」の粗筋を紹介する。 安幼輿は陳西の抜貢生だった。金っ離れが良く義に勇み、放生が好きで、猟師が鳥獣をとらえもっているのを見るといつも買い取って放していた。 たまたま母方のおじの家で弔いがあり、葬式に手伝いに行った帰りに道に迷ったが、山の谷あいの中に灯があるのが見えた。そこで泊めさせてもらおうと近づくと、一人の老翁が歩いているのに気付いた。安が道に迷った由を告げると、老翁が自分のあばらやに泊まってもいいといい、小さな村に案内した。 あばらやに案内した老翁は家族に安を自分の恩人だと紹介する。そして自分の娘である花姑子に身の回りの世話をさせた。花姑子に一目惚れした安は情を通わせようとするが花姑子は拒み、安は悶々とした思いを抱きながらあばらやを出た。 安は翁の家に縁組みを請おうとしたが、住処はわからなかった。花姑子を思う余り安は食べ物も喉を通らず、衰弱して寝込んでしまった。ある夜、危篤の安がうつらうつらしていると花姑子が寝台のそばに立っているのが見えた。花姑子は安の情に打たれ、安の情に応えた。花姑子は「恩に報いるためあなたに連れ添っているが、いつまでも一緒にはいることができない」という。安と花姑子は何日か睦みあっていたが、ある日花姑子は父が引っ越すために安とはもう逢えないと別れを告げる。 安は花姑子が忘れられず、花姑子の住処を訪ねた。しかし花姑子だと思われた女に安は殺されてしまう。家人が安の弔いをしている中、本物の花姑子がやってきて、安を生き返らせる。安は不思議に思い花姑子に訪ねると、花姑子は安を殺したのは蛇の精が自分になりすましていたのだと言い、自分は昔安が猟師から買い取って放したノロ(鹿の一種)であると告白した。花姑子は再び別れを告げ、その後安と花姑子の子供が花姑子の母を通じて安に手渡された。安はその子を抱いて帰り、二度と娶ることはなかった。 「花姑子」の中では、「変身」と「恩」が大きなキーワードになっている。報恩譚では「恩」を返すために「変身」するという話は少なく、むしろ人間に変身していた動物が、以前受けた「恩」を返すというパターンが多い。ではこの報恩譚の中で、「変身」はどのような役割を果たしているのであろうか。 まず『聊斎志異』以外の報恩譚に目を向けてみる。 グリム童話においても報恩譚はある。「忠実な動物たち」という話では主人公に助けられた動物たちが主人公を助け、主人公に幸せを与える。先ほどの「花姑子」と内容は似ているが、「忠実な動物たち」では動物たちは動物の姿のまま主人公に恩を返す。グリム童話では動物が人間の姿に「変身」して恩を返すという概念はなく、その点が『聊斎志異』との大きな違いである。グリム童話では動物自身が主人公の話も多く、動物を「擬人化」はするものの動物自体が人間に「変身」するという考えまでには至っていない。同じ報恩譚でも、グリム童話では動物が動物の姿のままで恩を返し、『聊斎志異』では「変身」して恩を返す。報恩譚において、「変身」という点がグリム童話と『聊斎志異』との違いでもあり、『聊斎志異』の特徴でもあると言えるだろう。 『聊斎志異』以前の中国の説話集でも、動物が「恩」を返す話は多い。『捜神記』の中では動物が主人公に受けた恩を返す話がある。ただ動物が動物の姿のまま恩を返す話も多く、必ずしも「恩」と「変身」が密接に結びついているわけでもない。『聊斎志異』の中でも動物が動物のまま恩を返す話があるが、その比率は『聊斎志異』以前の説話集に比べ少ない。逆に言えば、『聊斎志異』はそれまでの説話集に比べ報恩譚において「変身」した動物たちが恩を返す話の比率は増えているのである。つまり『聊斎志異』の報恩譚において、「変身」は一つのキーワードなのであると言える。 では「なぜ」、「どうやって」、「変身」するのか。 そこで、まずは報恩譚のもう一つのキーワードでもある「恩」について考察してみる。 「恩」という言葉はもともと「恩恵」を意味していた。しかし仏教が中国に伝わりその教えが一般に普及していくにつれ、仏教的な意味合いが強くなったものと思われる。 『聊斎志異』においても、仏教的な色彩は強い。『聊斎志異』では道教や民間信仰の話と共に、仏教的な話も多い。例えば巻四の「 都御史」では冥府に行った華公という人物が冥府から帰る際に道に迷い、神将に「仏経をとなえたら出ていける」と言われている。また『聊斎志異』では「前世」「現世」という言葉が頻繁に使われており、これは仏教の三世報応の説が一般に広く伝わっていたことを意味する。 仏教は後漢の明帝の永平年間に渡来し、布教の僧侶の非常なる熱心によって次第にその勢力が世人に認められるようになった。当時、中国では儒教と道教という二代勢力があったが、にわかに勃興した仏教はその二つの勢力と密接に結びつき、中国仏教として独自の発達をすることになった。 道教と仏教の二つは六朝の始めに種々の議論もあり、ついに融合するに至った。これは仏教の根本思想が「空」であるのに対し、道教のそれが「無」であったからである。むろん両者は完全に同じものとは言えないが、根底に同じものを持つ両者が融合していったのは自然の成りゆきであったといえる。南斉の張融は「道と仏とは極に至れば二なし」といい、ついに「百聖同投、本来無異」といっている。また南斉の顧歓は「道はすなわち仏なり、仏はすなわち道なり、その聖は符合し、その跡は反す」と言った。このことからも、道教と仏教が当時密接に結びついていたことがわかる。 一方、一般の知識人や民衆はこれらとはまったく異なった角度から仏教に接していった。それは、仏教がもたらした輪廻の説である。輪廻説によれば、人生はこの現世の一世だけではなく、生前の過去に無限の前世があったのであり、また死後の未来にも無限の来世が続くという。しかもこの三世は互いに無関係にあるのではなく、前世の行為の善悪は現世の禍福をもたらし、現世の行為の善悪は来世の禍福を招くという、因果応報の理が働くとする。したがって中国人は輪廻説のことを「三世」の説、または「三世報応」の説と呼んだ。この三世報応の説は前世や来世の存在など夢想もしなかった中国人の人生観を根底から揺るがすとともに、儒教の人生観の持つ欠点を補うという、大きな長所を持っていた。 儒教の教えに従っても幸福になれなかった伯夷・叔斉の兄弟や、儒教の教えに反していても満ち足りた生涯を送った大泥棒の盗跖など、儒教の教えだけでは解決することのできない矛盾を仏教の三世報応の説が解決していった。前世で悪い行ないをしたものは現世でそれを償い来世で幸せを得るという考え方は、広く一般の人々に受け入れられるようになっていったのである。 仏教の三世報恩の説が広まることにより、輪廻、転生という考え方が一般の人々に受け入れられていった。「転生」は「生まれ変わり」であり、あるものからあるものへの「変身」である。前世で恩を受けた動物が現世で人間に転生しその恩を返す。報恩譚における「変身」とはすなわち「転生」であり、「変身」という超自然的な行為は仏教の浸透により「転生」というとして受け入れられ、グリム童話における「魔法」のように読者がその存在を前提条件とし、すんなりと受け入れられるようになっているのである。 つまり前世が動物であり、現世で人間に変身するという「転生」という概念が受け入れられたことにより、「動物」から「人間」に「変身」するという一連の超自然的な行為が違和感なく受け入れられたのだ、と言えよう。 『聊斎志異』の報恩譚において、なぜ「変身」するのかという理由に「恩を返すため」という仏教的意味合いが含まれていたのである。それと同時に「どうやって」変身するのかという問題点を、同じく仏教の中の「転生」という概念を用い、「転生」=「変身」と段階を踏むことにより、読者に「変身」という超自然的な行為を受け入れさせたのである。 『聊斎志異』は他の報恩譚に比べ、動物が「変身」して恩を返す話が多い。これは『聊斎志異』の特徴であり、それはつまり、『聊斎志異』の報恩譚にはその根底に仏教的な概念が流れており、物語の中で「変身」を「転生」として位置づけていることを示しているのである。 |
| <『聊斎志異』における変身譚についての考察〜INDEX〜> (一) はじめに (二) グリム童話における変身譚 (三) 『聊斎志異』における変身譚−報恩譚 (四) 『聊斎志異』における変身譚−報情譚 (五) 報恩譚と報情譚 (六) おわりに 蛇足 |